昔の写真

〜〜我が家のアルバムより〜〜

今、私がここにいるのも、こんな農村の暮らしがあったからですね。
泥臭く、汗くさい、でも生き生きとした息づかいが聞こえてきそうです。
貧しかったり、体が辛かったり、でも、人々のぬくもりが感じられます。
今の私の「忙しい〜、腰痛〜い.」が、子供の泣き言のようで、恥ずかしい限りです。
今や農業も機械化の時代ですが、昔からの暖かいお付き合い、
生きるための農業っていうのを忘れないでいたいものです。

農業の創業者 栗崎比古二
 大変厳格な人。親父の兄姉衆が揃うと、いかに恐ろしかったかという
 話に花が咲きます。野良から帰ってきて風呂が沸いてないと、
 いきなり正座だったとか・・・。
 あだ名は「ぎょろ目の比古さ」
 確かに、目が怖いかも・・・。
今は亡き、2人のおばあちゃん
 大きいおばあ(右)とは、よく苺を摘みにいったっけ。
 左の「みよおばあ」は本当に感謝の人でした。
 いつも、顔の前で手を合わせ、「あんがと、あんがと。」が口癖。
 ぼけても、寝たきりになってもこれだけは変わらなかったなあ・・・。
 私の出生1年前 昭和40年の写真です。
我が家の愛牛。(田畑の耕起)
(昭和29年)
家の屋根ふきの風景 
(昭和34年)
昔の精揉機 
(昭和31年)
製茶機から出たお茶 
(昭和31年)
椎茸の原木はこび 牛で畑をおこす
 (昭和30年)
茶摘み
(昭和30年)
ほっと一息 開墾造成3年目 
(昭和50年)
手ばさみによる整枝作業 
(昭和30年)
今の親父が開墾した茶畑 
(昭和49年)
私も石拾い手伝いです。当時8歳。 
(昭和49年)
お茶摘み風景 牛で田起こし
(昭和25年)
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